O型女性とつき合うとこうなる

人生終盤にさしかかったオヤジが、時に真剣に、ある時はくだらい想いを綴っています。

裁判員裁判

裁判員制度が設けれて、今年で10年なんだそうだ。
実はボクも昔、殺人犯の量刑を決めるために法廷と評議室に缶詰になったことがある。
そう、めでたく裁判員に大当たりしたのだ(笑)

この制度の良し悪しは他の方の見解におまかせすることにして、体験者としての感想を書きたい。
判決が決定し、解放されたときに感じたことはもう二度とやりたくない!だった。
たった1週間なのに、これほど精神的に疲れたことはあまり経験がない。

そして、いまだに釈然としないのが被告の量刑だ。
この裁判で被告は実刑判決を受けたが、6人裁判員、2人の補充裁判員、そして3人の裁判官で量刑の判断を話し合った。
この8名の「裁判員」の中で執行猶予をつけるべきだと考えたのはボク一人だった。
結局ボクが流された形になったわけだが、他の7名の裁判員実刑だと判断する材料が
ボクには合点がいかなかった。

どんなところが?と質問が飛んできそう(笑)
でも詳細は答えない。
裁判員制度の実態を知ってもらいたいだけで、事の判断が正しいとかそうじゃないとかは
読者の方には気にしないでいただきたいからだ。
それより何より評議の内容は公開しないように厳命されている(笑)

結局、多数決のような作用が働き、実刑となってしまった。
被告は控訴したんだろうか。
それとも刑の執行を受け入れたんだろうか。
そのあたりは知らされない。

被告は見ようによっては勝ち気そうだが、ごく普通の女性。
この人がホントに人を殺しちゃったんだろうか。
決してはずみではなく、伏線があったはず。
でも、どんな伏線があろうが人を殺す行為って尋常じゃない。
尋常じゃない精神状態であったに違いない。

故に何がそうさせたのか、もっと深い論議がしたかった。
犯罪心理学に通じた方も交えて論議したかった。
裁判員や裁判官の経験やそこから出来た価値観からの論議も必要だが、「こういう精神状態ではこうなる」とかいう論理的根拠も交えた論議が必要ではなかったのか。
冒頭で「釈然としない」と書いたが、このあたりが原因なんだろう。
裁判員などなかなかできない経験ができたというには、あまりにも心のひずみが大きい。

裁判官を職業として選んだ人、やむおえず制度に参加した人。
異環境にある者同士が異なる観点から討議し量刑を判断するということは、一見妥当性が
あるように見える。
でも、やはり職業として裁判官選び、法の勉強されてきた方の中で採決してほしい。
これが本音だ。